「特撮よりもCGの方が良い」という機運と、その実態
前編では、1990年代後半にかけて特撮研究所の中でいかに3DCGやデジタル技術が導入されていったのか、その過程を尾上さんから伺うことができました。しかし、そうしたデジタル技術の導入によって、アナログ特撮からデジタルの方へと現場の目線が移っていったということは、なかったのでしょうか。
まだ、東映の作品ではそこまでは行ってなかったと思いますよ。その頃は、クオリティも予算も実写のほうがCGよりは有利な面が多かったです。「新しいもの」と物珍しさのほうが勝っていたから、CGでなければ不可能なカメラワークとか動きとかに的を絞って大事に使っていましたし。
しかし、それから十数年後「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(2012)では、初期のタイトル案に「さらば、特撮」という言葉が出てくるくらいに、特撮が業界的には使われなくなっていくということですよね。
実は特撮があまり使われなくなったキッカケは樋口君が特技監督をやった「平成ガメラ」シリーズだったんじゃないかと思います。あのシリーズは特撮の頂点で、ある意味トドメを刺しました。あれ以降、実写特撮は進化を止めてしまった。そこから先は、もうあれ以上の特撮をやれる人材が育つ土壌もすっかり減りました。それに、あのシリーズは日本でCGが「使える」と認識された初期の作品で、僕ら世代もどんどんCGにシフトしていったんですね。で、ある時、ふと振り返ったら後ろに誰もついてきていなかった。こりゃマズイ! 後輩たちに技を残せるのは今しかない、ってことでつくったのが「巨神兵東京に現わる」(2012)なんですよ。これで終わりにするつもりが、案外受けちゃってね(笑)。
展覧会サイトより https://www.ntv.co.jp/tokusatsu/
それは、表現の技術としてどうかというよりも、映像業界の機運として「特撮よりもCGの方が良い」となっていったということですか。
そうですね。その頃には「特撮の使い途」を知っている人もずいぶん少なくなっていましたからね。特撮は安っぽくてチンケ、CGは新しくてすごい、というステレオタイプが定着してしまった。僕は2000年ぐらいに東映の子供番組から離れて、東宝の映画の方に行くんですけど、その頃はフィルムを使ったアナログ合成もほとんどなくなって、合成はほぼデジタル。合成が絡むショットはなんでも「CG」って、現場も呼ぶようになった。それでも、実際はお客様に見せるレベルの映像をフルCG頼みで完成させるなんてのは夢のまた夢でね。なので、自分が思い描いた画を生み出すには、どうしても実写特撮を介入させなきゃいけなかった。そんな時代だから、僕らは、合成だろうが、ミニチュア特撮だろうが、とにかく特殊な映像は何でも「CGです」と言って、なんとか切り抜けて来たんです。
対外的なアプローチとして「CGでやる」と言わざるを得なかったと。そういう意味では、ゼロ年代はCGに対して、実際以上に「万能な技術」としてのイメージがついていたのでしょうね。
そういうことは、ありがちですけどね。ワイヤーフレームが出始めのときも、針金でつくったモデルに蛍光塗料を塗ってモノクロフィルムで撮影して、オプチカルプリンターで合成したのを「CG」だと言い張ってましたもん(笑)。言い換えれば「ロンダリング」をやっていたという黒歴史。
「特撮ロンダリング」ということですね(笑)。そういったゼロ年代の「特撮」と思われていない特撮で言うと、この時期の尾上さんの関わられた作品では『黒部の太陽』(2009)のダムのシーンなどは、その代表格かと思います。あれも一見するだけでは、誰もミニチュア特撮とは気づかない。
気づかれないように撮ったから(笑)。そもそも「ミニチュアの方が上」とか、「CGの方が上」とか、考えたことは無いんですよ。どの手法を選ぶかは「この作品にとって、質と予算を考えて何が一番幸せか」というだけです。
映像をつくるための技術として、フラットに考えられているということですね。
そうですね。それで、「同じだったらどっちにする」となったら、好きな実写特撮を選んでしまいますけどね。
そういう、つくり手の好みの部分もあると。
もちろんそうです。
そうした見極めにおいて重要なのが、それぞれの技術にどのようなメリットがあるかということですよね。そしてデジタルの技術発展も近年目覚ましいですが、アナログ特撮に関しても、レーザーカッターの導入などの技術発展が起きています。こうした双方の技術発展によって、それぞれのメリットが逆転したりすることもあったりするのでしょうか。
メリットよりもそれぞれのデメリットを見極める方が大事だと思います。デジタル技術のお陰で、双方が不得手な部分を補完し合あえるようになってきたことはいいですよね。例えば、レーザーカッターでミニチュアの細かい部品がつくれるようになったので、小さいミニチュアでもタイトショットが撮れるようになったとか、それを実際の風景にはめ込むことはこれまでできなかったけど、デジタル技術でできるようになったとか。他にも、いちからモデリングするよりミニチュアをスキャンした方が手っ取り早いとか。物理計算でつくった爆発に本物の爆発素材を組み合わせると、格段にリアリティが増すとかですかね。
専門家じゃないからこそ、選択肢を持てる
尾上さんが准監督を務められた『シン・ゴジラ』(2016)では、それまでの作品制作とは大きく異なる形でプリビズ[3]が導入されましたよね。あれもまた、日本の映画制作における3DCG技術の革新的な活用例だと思うのですが。
『シン・ゴジラ』の時は、作業量から逆算して、CGやら何やらの仕上げに、最低12か月欲しかったんですね、でも、いろいろな事情があって9ヶ月しかもらえなかった。差し引き3ヶ月足りない。そこで「仕上げを先にやれないか」と考えたんです。「ゴジラの出るシーンはほぼCGだし、先につくれるんじゃねぇの? それで仕上げ期間を短くできるよね?」と。その考えの拠り所が「プリビズ」でした。アニメでよくやる「プレスコ」を取り入れてプリビズをかなりの精度で編集できるようにしてですね、精度が高いプリビズがあれば撮影プランも立てやすいし、音のことも早めに始められます。そうするとVFXは納期ギリギリまでブラシアップ作業が出来るんじゃないかと。
シン・ゴジラ 「プリヴィズリール集」
そうだったのですね。その後、「シン」シリーズが続いていく中で、プリビズの手法もどんどんアップグレードされていきます。
まぁ、とても特殊なケースだと思いますけど、あの経験から、つくり方や考え方を大きく変えることになりました。精度の高いロング・プロットを早い段階で上げてもらうことで、リサーチやキャラクター・デザイン、美術プラン、ロケハンなども、かなり早い段階で始めることができます。モデルやアニメーションをプリビズから本番まで1本化して、撮影後に行われるポストビズとの誤差をできるだけ縮めるようなプラットフォームやワーク・フローも構築してきました。それまでにあった映画づくりの流れや考え方そのものを変えないと、もはや対応できなかったんですね。
この『シン・ゴジラ』のプリビズしかり、特撮研究所におけるCGしかり、アナログ特撮とデジタル技術の組み合わせしかり、尾上さんは他の方にはない発想と柔軟性で、撮影現場をいろいろと変革されてきていらっしゃいますよね。その発想は、どこから来るのでしょうか?
多分、僕が全てにおいてバリバリの専門家じゃないからだと思いますよ。これまで、つまみ食いみたいな生き方しかしてきていないですが、お陰でいろいろな技術も作法も覚えたし、それに関わるスタッフの心の動きも、自分でも経験したのでわかります。だから、出会った作品に見合う選択肢を持っている。それだけのことだと思います。専門家すぎると他の良いところが見えなくなっちゃう気もするし、ありもしない「しきたり」や「ルール」に縛られてしまうんじゃないですかね。そういうのって、大概が合理的じゃないんですよ。「それをやめれば済む話じゃないの?」みたいなことが多いです。抵抗する人も中にはいるけども「常識」や「しきたり」をちょっと変えるだけで、流れはガラっと変わるものです。
[3]
プリビズ:撮影前でのスタッフ間のイメージ共有や、制作手法の検討などのために用いられるCG映像。簡素なCGモデルやラフなアニメーションであることが多いが、『シン・ゴジラ』のCG合成用プリビズでは、カメラアングルやキャラクターの動きなどに対し、(CGのブラッシュアップを除けば)完成映像と遜色のないイメージまでの追求が試みられた。
映画『進撃の巨人』(2015)撮影現場 写真提供:尾上克郎
「ものづくり」としてのCGと、その面白さ
近年生まれた新しい映像技術として、生成AIに注目が集まっています。尾上さんがこれからつくられていく映像作品にも、生成AIが使われていくのでしょうか。
実際にもう使っていますからね。手間のかかる、あまりクリエイティブに関係のない単純作業みたいなところは、任せた方が良かったりします。
一方でCGとの関係でいくと、プロンプトというテキストから映像をつくり出す生成AIの誕生によって、CGスタッフの手仕事性、クリエイティビティ、職人性みたいなものに、改めてフォーカスが向けられているようにも感じています。特撮が「特撮博物館」を機に、大衆的に「手づくりのもの、職人作業の成果」として再認識、一種のブランド化されてきたのと同じルートを、CGもこれから辿っていくことになるんじゃないか、と。
そうかもしれないですよね。これまで、すごい勢いでCGは発展してきたけれど、それと同じくらいのスピードでAIに置き換わっていくのではないかという危機感もありますね。これからは、CGも職人技や作家性、芸術性をどう担保し、その時代に必要なものとして残せるかが課題になると思います。これって特撮が経験してきた歴史と似てますよね。時代の荒波をアナログ特撮がどう受け止めてきたのかは良い教訓になるのではないでしょうか。
そういう意味でも、かつては「特撮 vs CG」といった対立構造で受け取られていた両者も、生成AIの誕生によって、「ものづくり」と「機械生成」のような感じで、「ものづくり」の方にCGと特撮が包含されるような形になっていくかもしれません。
そうかも知れないですね。未だにCGはスイッチポンでコンピュータが勝手につくってくれると勘違いしている人は多いですよね。だけど特撮と同じで、手間ひまがものすごくかかっていて「ものつくり」という点では何ら変わるところはないです。両方に二股かけている僕から言わせると、特撮vs CGという考えで語られることが不思議で仕方がない。特撮もCGも同じ「道具」であって、それぞれにいい面と悪い面がある。
生成AIの登場によって、よりそれが身近に感じられるような時代になった気がします。
ただ、特撮でもCGでも「どうやって画づくりしようか」と悩む時が一番面白いわけですよ。考えて、悩んで、みんなと相談して、寒い中でブルブル震えながら一生懸命ロケに行って、その後でお酒を飲むのが面白いんです。そんな人間の根源的な一番楽しいところを、あいつら(生成AI)に取られてたまるかと僕は思っていて、助手の一人としてAIは欠かせなくなるでしょうけど、まだ「お前たち(生成AI)はとりあえず、ここまで」と言っておきたい気がする。まあ、多分そのうち「そういう考え方はもう古いです」と言われるようになるでしょうけど、ちょっと今の段階では、僕はまだそこを譲り渡す気はないですね。
そうした制作者のものづくりの楽しさって、特撮だとメイキング映像を通して視聴者に受容されたりもしていますよね。一方で、CGのメイキング、いわゆる「VFXブレイクダウン」形式のメイキングには、そうした手仕事性へのフォーカスを感じない気がします。
コンピュータが勝手にやってくれるというイメージとか、うまくいったものしかメイキングには残さないとか、からでしょうね。CGの場合、失敗が記録されにくいので、作業をしている人の複雑な思考錯誤も表に出にくい。「これくらい失敗してます」とか、「このくらいデリートしました」というのが可視化されて、もっと人間臭さを出すというのが案外、これから先大切なんじゃないでしょうか。
テレビ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(2019)撮影現場 写真提供:尾上克郎
自分が興味のないことに、興味を持つ
今回、尾上さんのお話を伺って、「ものづくりを楽しいと感じる」ということが、映像制作そのものにおいても、映像がこれから文化として残っていくことにおいても、重要だと改めて思いました。尾上さんの個人史を踏まえても、さまざまなことを独学で勉強されたことで現在のキャリアをつくられているわけですから、そうした知的好奇心、チャレンジ精神が、ものづくりにおいては重要なのかなと。
最近、「専門的に知っていなきゃいけない」「知らないことは無理」と決めつけしまっている若者が多い気がするんですよ。僕なんかは、いろいろ難しいこと書いてあってもも、「同じ人間だから、オレにもできるんじゃないか」と思っちゃうんですよね。スポーツは無理ですけど、それ以外のことならね。
そういう意識を持って、新しい技術にどんどんアプローチしていくということが、これからは大事になっていくということですね。このインタビューが掲載される「CG-ARTS One」は、CGの分野に進みたい若い人たちにも発信しているサイトなのですが、そうした読者の方々に、尾上さんからメッセージをお願いしてもよろしいでしょうか。
自分が目を向けてこなかった物事に、興味を持つことが大事だと思いますね。今、僕も大学で教えたりしていますけど、みんな自分が興味あることにしか、目を向けないんですよ。世界が狭い。「車ってどうやって右に曲がるか考えたことある?」と聞いても、その仕組みや運動作用とかから語ろうとする人は殆どいない。何事も原理を知るのは重要で、それを知っておかないと、優れたCGなんてできるわけがない。原理やホンモノを知ったうえで嘘をつくのがクリエーターだと思います。例えばパワーショベルの動く仕組み、鳥が飛ぶ原理、犬の歩き方とか、人の表情とか、いろんな題材が街の中には溢れていて、飽きることなんかないです。早起きして登る朝日を見つめるとか、一日中、水道管からポトポトと落ちる水を眺めている時間を少しでも良いからつくってほしい。人間や社会や自然に目を向けないでいて、描こうとするもののリアルさなんてものを云々する資格はないと思います。
以前、CGの爆発が面白くないので、それをつくるスタッフを何人か呼んで、僕らが特撮で爆発をやるところに連れて行ったことがありました。それで実際に爆発の熱であったりとか、風圧だったりとかをスタッフに体験してもらったら、彼らがつくる画も全然変わっちゃうんです。
やはり、実際に見て、体験しているというのは、CGをつくる上でも非常に重要なのですね。
今、タバコを吸う人が減ったので、大人になるまで100円ライターを擦ったこともない人が、いっぱいいるんですよ。炎がどうやって燃え上がって、どれくらい熱いかっていうのは、体験しないと分からない。それと全く同じだと思いますよ。
学ぶこと、そして体験すること、そうした基本的なことこそが重要なのだと、改めて尾上さんの人生と、そのお仕事から教えていただくことができました。この度はありがとうございました。
映画『西遊記』(2007)の撮影現場(2006年撮影) 写真提供:尾上克郎
前編はこちら