「今、自分が使えるものは何でも使おう」
2026年は、「ウルトラマン」シリーズの60周年です。尾上さんは1960年生まれですので、66年の『ウルトラQ』は直撃世代ですよね。尾上さんの「ウルトラマン」シリーズの原体験をお聞かせいただけますでしょうか。
円谷英二の解説記事は、今でいう特撮メイキングの元祖のようなもので、子供たちが「特撮」を身近に感じる上で大きな機能を果たしていましたよね。当時の子供たちは、あの作品のどこに惹かれたのか、尾上さんは今どのように考えられますか。
尾上さんはその後、「ウルトラマン」シリーズの作品にもいくつか携わられることになるわけですが、テレビシリーズでは『ウルトラマンZ』(2020)の第9話、第10話で、特技監督を担当されていましたね。
『Z』の第9話、第10話で印象的な場面と言えば、何と言っても、ロボット怪獣のキングジョーが手を伸ばして車を掴もうとするところの主観ショットかと思います。あのシーンの撮影では、『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)で円谷英二が行った、山のミニチュアを回転させて飛行機が前に進んでいるように見せる技法が現代的な形で使われていましたよね。私も書籍などで得た知識として、その技法の存在は知っていましたが、他ではなかなか見られない映像だったので、すごくインパクトがありました。
昔ながらの技法を活用した表現というと、スケールが違うキングジョーのミニチュアを、強遠近法を使うことで撮りきり[1]で成立させるというのもそうですよね。
なるほど。現場でアイデアを出して、みんなで試行錯誤していくというのが、アナログ特撮の魅力ということですね。
アナログというか、特撮の魅力ですよね、それが。
「しまった、受けちゃった」から学びが生まれる
ここで一度時間を遡り、そもそも尾上さんが映像業界に入るきっかけがどのようなものだったのかについて、伺わせていただきたいのですが。
尾上さんと言えば操演[2]のイメージが強いのですが、自主映画時代は美術をやられていたそうですね。映像業界に関わるにあたって、いろいろな技術を習得されていったのでしょうか。
その積み重ねで、できることが増えていったのですね。まさにチャレンジ精神です。
そしてその後、東映の特撮研究所に入られることに。
そして、特撮研究所に入られて、長く操演のお仕事に携わられることになるわけですね。
「デジタル」という言葉が一般的ではなかった頃
アナログ特撮の話をこれまで伺ってきましたが、CGに出合われたタイミングも、このあたりの頃ですね。
それですぐさま、ローンを組んでパソコンを買われたそうですね。
その帰り道に。ローンが終わる前に、そのパソコンは壊れてしまいましたけどね(笑)。パソコンは、NECの何かだったと思うんですけど、本体自体は確か50万円くらいでした。でも、当時はメモリが高くて、256(MB)で200万円くらいしたのかな。8インチのディスケットを差し込んで(OSを)立ち上げていたのですが、立ち上がるまでに2~3分かかっていました。BASICでプログラム組んだり、DOSでモーター動かしたり。Windowsではなかったです。それに、ちょうどアメリカでMacを売り始めた頃でしたかね。
本当に先駆けの頃ですね。
略称の「CG」が定着する前だったということですね。そうして購入されたパソコンでCGを、これまた独学で勉強されたということでしょうか。
そうです。まだGUIでも無いし、マウスも画像処理ソフトもなかったので、自分でプログラムしていました。
そういった、いわば日本でのCG黎明期において、独学で勉強するための情報をどのようにして入手されていたのですか。
特撮研究所CGヒストリー
尾上さんが個人としてCG技術を身につけられた一方で、特撮研究所でのお仕事として、CGやデジタル技術はどのように導入されていったのでしょうか。
テストケースというと、放送される映像作品になる前の、社内での実験的なものをつくられたということですか?
最初期の作品としては何になるのでしょうか。『ビーファイターカブト』(1996)の頃に、特撮研究所のCG部ができたとのことですが。
それまでの東映の作品でも、『特救指令ソルブレイン』(1991)のソルドーザーの変形や、『ウルトラマンVS仮面ライダー』(1993)のタイトル部分など、3DCGが使われている場面はありましたよね。
あえて外注してまで3DCGを入れていたということは、「新しい映像表現を入れていきたい」という機運が当時の東映の中で醸成されていたのでしょうか。
CG部立ち上げの翌年は、「スーパー戦隊」シリーズだと『電磁戦隊メガレンジャー』(1997)ですよね。デジタルをモチーフとした世界観の作品でしたが、その時期にCG部が立ち上がっていたというのも、そこに影響していたりするのでしょうか。
『メガレンジャー』の時は、尾上さんは「デジタルエフェクト」としてクレジットされていらっしゃいますね。
当時はまだフィルム撮影で、オプティカルの合成と区別するのに、デジタルを使った合成を日本じゃ「デジタルエフェクト」と呼んでいたんですよ。あの頃は操演もやっていて、それが終わったら、パソコンで合成をやって、3DCGもやって、みたいな感じでしたね。
それらを包括したデジタル関係のお仕事としての「デジタルエフェクト」なのですね。その後数年経って『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001)になると、3DCGで表現された巨大動物のパワーアニマルが出てきますよね。「スーパー戦隊」シリーズの3DCGを語る上でエポックメイキングな作品ですが、あの時も尾上さんは「デジタルエフェクト」としてクレジットされていらっしゃいました。一方で特撮研究所の中には「CG」というクレジットも別で出てきていますよね。
ここで「CG」と言われているのは、いわゆる3Dアニメーションも含めた3DCGということです。それまで「デジタルエフェクト」は所謂ジェネラリストが回してたんだけど、それじゃ追いつかなくなって、アニメーションとかモデリングとかコンポジットとかの専門分野に枝分かれが始まる時期で2D-2Dとか2D-3Dとかを区別するようになったんですね。当時、樋口真嗣監督とかVFXスーパーバイザーの佐藤敦紀君が参加していたデジタルエフェクトのグループがあって、仲が良かったんです。それで「こういうの、興味があったらやってくれない?」と頼んだら、アニメーションが複雑な変形シークエンスなどをやってくれることになったんです。2D-2Dの合成とかモーフィングとかは、うちのCG部が担当したと思います。
そういった経緯でしたか。とはいえ、デジタルに関わるスタッフが別クレジットとしても出てくるようになったということは、かつては尾上さん一人としての部署だったCG部にも、人員がどんどん拡充されていったということでもあるわけですよね。