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ゼロからアメリカで積み上げた「自分に向いてる」CGアニメの仕事(前編)

2024年11月、東京新宿にて開催された「Tokyo Anim Unite(東京アニムユナイト)」。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオで活躍するアニメーターなど、多彩なクリエイターをゲストに迎え、講演や展覧会、ポートフォリオレビューなどのさまざまなイベントを実施しました。「プロ、アマチュア問わず、クリエイションを愛するすべての人が気軽に交流できる場を」と本イベントを企画したのが、今回のゲストであるアニメーター、ヨーヘイ(小池洋平)さんです。アニメーションも英語も、すべて25歳で渡米後に学んだというヨーヘイさん。その独自のロジックで「楽しく」継続し積み重ねてきた、輝かしい軌跡とその背景をお聞きします。

前編では、渡米までの背景や、アメリカで体験した教育、そして積み重ねたキャリアについてうかがいます。

「なりたい」になれない自分。ふと思い出したPOV-Ray

Tokyo Anim Unite、おつかれさまでした。ゴージャスなゲストの面々で参加者の満足度は相当高かったのではないでしょうか。

イベントを主催するのは初めてで、どれだけ大変なことか知らずにやっていました(笑)。ただ登壇者は全員これまでの僕のキャリアの中で出会った友人たちです。「日本に行きたいって言ってたよね、来る?」と、スタジオの廊下で軽いノリで声をかけました。でもカリフォルニアの人たちって、前々から声をかけていてもあまり本気にしない。遊ぶ時も直前に確認しないと「連絡がなかったからもう無くなったのかと思った」と言って来てくれないこともあったりします。だから「本当に行くんだよ」と何度も念押ししました。皆日本に来られてとても喜んでいましたよ。

Tokyo Anim Uniteでのヨーヘイさんやゲスト、来場者の様子
Tokyo Anim Uniteでのヨーヘイさんやゲスト、来場者の様子
Tokyo Anim Uniteでのヨーヘイさんやゲスト、来場者の様子

ヨーヘイさんはアニメーションを学ぶため単身渡米されて、ブリザート・エンターテイメントやウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオなどで輝かしいキャリアを積まれています。まずはさかのぼって、渡米前のことを聞かせていただけますか。

25歳で渡米するのですが、それまではCGアニメーションの勉強はほぼゼロの状態でした。アメリカに行ってから気づいたのですが、僕、おそらくディスレクシア(失読症)なのです。文章を読むと2行目で1行目をもう忘れてしまう。日本の学校での成績はひどいもので、テストで0点をとったこともありました。 高1の頃からバンドをやっていて、24歳くらいまでずっと音楽で認められたいと思っていました。でも全然楽しくなくて。「なりたい」が強すぎてむしろ辛かったですね。そんな時、とある知人の人生に深くかかわり、すごく感謝された出来事がありました。はじめて自分が認められた気がして、生きていていいんだと思えた。そのことをきっかけに、「認められたい」という気持ちを原動力にするのではなく、自分が本当に興味を持てることをやろうと、考え方が変わりました。 改めて過去の自分を振り返った時に浮かんだのが、20歳の頃大学の授業でたまたまやったPOV-Ray[1] です。全然やりたがらない同級生がいる中、僕はプログラムを4000行も書いて、ロボットのCGをつくりました。苦もなく、むしろ楽しんで。あれが自分にとっての適正だったのだなと、認められることへのこだわりを捨てた途端に思えたのです。 「トランスフォーマー」シリーズが始まったのが2007年、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントによる「スパイダーマン」3部作が2002年から2007年で、当時CGがまさに伸びているタイミングでした。「CGと言ったらハリウッドだろう」と、アメリカ行きを決意し、2012年に渡米しました。
ヨーヘイ(小池洋平)
ヨーヘイ(小池洋平)さん

アメリカの美大でゼロからのスタート

25歳で心機一転、思い切って渡米されたのですね。

そうですね。渡米してまずは、カリフォルニアの美術大学、アカデミー・オブ・アートユニバーシティに通いました。誰でも入れるけど卒業が難しいというアメリカによくあるタイプの大学でしたが、アメリカの美大の中では学費が最も安い。でも授業内容はしっかりしていて、パースや模写、フィギュアドローイング、ヌードモデルの塑造など、美術の根本的なことを一通り体系的・理論的に学べました。アニメーションの基礎をトラディショナルなやり方で学んで、その後3DCGの学びに移行する流れでした。英語もゼロからでしたが、レベルに合わせたESL[2] のクラスがしっかりとあり、ESLで十分なレベルに達するまでは専門の授業はわずかしか受講できないシステムでした。 今の僕があるのはそこでの教育の賜物だと思っています。CGのクラスの留学生には、当時は僕のほかにも日本人が数人と、あと韓国の人が多かったですね。日本人の同期達も現役で活躍しています。 イベントに来てもらったSOIFULのストーリーボードアーティストの栗田唯[3]くん、Kakela Studiosの一丸敦生くんはそのうちの一人です。 音楽で失敗した経験から、一つのことに固執せず、楽しく続けられることを優先しよう、続かないならいつでも変えちゃおうと思ってやっていました。周りから見たら芯のないやつに見えたかもしれませんが、社会から求められないと意味がない。求めてもらえる自分ってなんだろうと、常に自分の適正検査をしているような感覚でしたね。

しゃぶしゃぶ屋でバイトしながらアニメーション制作三昧

卒業後はすぐにCG関係の会社に?

大学卒業後9ヶ月間は、チップがもらえる金土日だけしゃぶしゃぶ屋でバイトをしてそこそこ稼いで、残りの週4日はオンラインスクールを受講したりしながら自宅でずっとアニメーションをつくる生活をしていました。幸せな期間でしたね。 就職に関して不安はなかったです。上手い下手ではなく適正を見定めてきたので、「こんなに苦もなく楽しくできることが仕事にならなかったら、逆に誰ができるんだ」と思っていました。 つくっていたデモリール[4]を見て、友人が誘ってくれて初めて入社したのは、テーマパークのライド映像などを手がける会社でした。ただあまり経営が芳しくなく、ほどなくして知人の紹介でテレビゲーム会社の2K Games[5]に移りました。 次に移ったのが、カリフォルニアにあるゲーム開発会社ブリザード・エンターテイメントです。出会いはLAで開催されていたCTN[6]というイベントでした。僕が今回開催したTokyo Anim Uniteのような、デモリールなどをプロに見てもらえる場です。ただディズニーやピクサーのブースは長蛇の列で、見せても覚えてもらえなさそうでした。帰りがけに偶然見つけたのが廊下の途中にポツンとあったブリザードのブースです。ブリザードも大手なのですが、ゲーム会社のブースはほかになかったので、イベントの趣旨としては少し専門外からの参加だったのだと思います。 ただ、当時は僕自身もよく知らなかったのですが、ブリザードのシネマティックは昔から映画業界からも一目置かれる存在で、そのとき制作していた『オーバーウォッチ』(2016)もシネマティックに力を入れていました。ブースでデモリールを見せたら気に入ってもらえて。良い反応は社交辞令だろうと思っていたのですが、後日本当にメールが来たのです。オンラインでの面接を経て入社が決まりました。
ヨーヘイさんのデモリール2(ブリザード作品)

CTNでの出会いからブリザード、そしてディズニーへ

デモを直接見てもらえる機会、大事なのですね。

本当に大事です。CTNがなかったらブリザードには行っていませんからね。その時はまだ実力がなくても、覚えてもらってまた次の年に「上手くなったね!やる気あるね」と言ってもらえたらいい。コミュニケーションがとれるイベントは、採用する側もされる側も皆ハッピーだと思います。

ブリザードではどんなお仕事を?

ブリザードは会社が小さな村のようになっていて、ゲームタイトルごとに3、4階建てのビルが割り当てられています。その中で一つ、短編映画だけをつくるシネマティックのビルがあるんです。僕はそこに配属されて、「オーバーウォッチ」シリーズや『ワールド オブ ウォークラフト』(2004)、『ディアブロⅣ』(2023)などのYouTubeで配信されるコマーシャル用の短編映画をつくっていました。

一気にメジャーデビューされたかのようなご活躍ぶりです。ただその後、また別の会社に移られますね。

5年で辞めたのですが、上司や同僚からはとても驚かれましたね。当時のブリザードはとても上り調子で、一生いられるような安定感がありました。そんな方舟から降りようと思ったのは、ここにい続けても、今も30年後も変化がないように感じたからです。荒波にもう一度揉まれる時じゃないかと思い辞めました。 逆に、5年いたのは剣が欲しかったからというのもあります。5年で剣、10年で盾、15年で指輪……と、勤続年数に応じて、ベテラン社員にはゲームらしいアイテムが贈られるんです。笑ってしまうけれど、いいですよね。剣がもらえるまではいたかった。今も部屋に飾ってありますよ。
勤続表彰で授与された剣

勤続表彰で授与された剣

剣を携えて、次はどちらへ?

その後日本の映像制作スタジオSAFEHOUSEで、Netflixのコンテンツ『機動戦士ガンダム 復讐のレクイエム』(2024)の制作に関わりながら社内の制作フローを整えました。1年経った頃に親友のジョセフ・ホルマークが誘ってくれたのが、彼が働くウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオです。 ディズニーにいるアーティストたちは本当に一流の人ばかりです。彼らと肩を並べて仕事をすることで自分の実力をもう一歩伸ばせるだろうと、学校に入るようなつもりで行きました。ただ最初から2年だけと決めて、『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』(2022)や『ウィッシュ』(2023)、Disney+で配信されている短編シリーズ『ズートピア+』(2022)など、数本の作品に携わりました。
ヨーヘイさんのデモリール2(ディズニー作品)
[1] レイトレーシング(ライティングを写実的にシミュレートする技術)ソフトウェア。オープンソースの3Dレンダリングエンジン。
[2] English as a Second Languageの略。第2言語としての英語を学ぶためのクラス。
[3] 栗田唯:ストーリーボードアーティスト。ブリザード・エンターテイメントにてキャリアをスタートし、『オーバーウォッチ』など数々の短編アニメ作品のストーリーボードを手がける。日本帰国後はマーザ・アニメーションプラネットで映像作品『ニンジャラ』(2020)、トンコハウスにてNetflixアニメーション作品『ONI ~ 神々山のおなり』(2022)に参加。ストーリーアーティストの専門チーム「ソイフル」を立ち上げクリエイティブ・ディレクターを務める。

[4]
映像業界のポートフォリオ。自分が担当したシーンをつなぎ合わせたダイジェスト動画。

[5] カリフォルニアに本社を置くテレビゲーム販売会社。代表的な作品に「マフィア」シリーズ、「BioShock」シリーズなど。
[6] Creative Talent Network animation eXpoの略。毎年11月にカリフォルニア・ロサンゼルスで開催される。

後編はこちら

プロフィール
CGアニメーター
ヨーヘイ(小池 洋平)
KOIKE Yohei
ヨーヘイ(小池洋平)

日本初アニメーションオンラインスクールAnitoon創設者。
カリフォルニアを拠点としてアニメーターとしてゲーム、映画の両業界の作品に携わってきている。ハリウッド業界におけるアニメーション技術を日本国内に共有することを10年間続けている。Tokyo Anim Unite主催者。
代表作に、『オーバーウォッチ短編映画集』(ブリザード・エンターテイメント)、『ディアブロⅣ』(2023、シネマティック ブリザード・エンターテイメント)、『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』(2022、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ)、『ウィッシュ』(2023、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ)

構成:言問(こととい)
撮影:栗原論

公開日:2025年2月3日

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