Top Left
Top Right
教えてレジェンド 原島 博 (聞き手:久保田晃弘)
Bottom Left
Bottom Right

その目で見つめ、考え続ける工学と世界 原島 博 (聞き手:久保田晃弘)(前編)

工学部の先生、と聞いてイメージするのはどんな先生でしょうか。長年東京大学で教鞭をとられた原島博先生は、情報工学のなかでもコミュニケーション工学を専門とし、多分野の専門家が集うユニークな学会「顔学会」を立ち上げるなど、学際的な学びやコミュニケーションの場づくりに尽力してこられました。さらに文化庁メディア芸術祭では審査委員長やアート部門の審査委員を務められました。この度、大学を退職後にはじめた塾「原島塾(HC塾)」の講義録をまとめた「原島博講義録シリーズ-俯瞰する知」全10巻が刊行をスタートしたことを機に、多摩美術大学の久保田晃弘先生が原島先生を訪ね、工学談義に花を咲かせました。

前編では、著書で示された「俯瞰知」について、また社会の変化とともにある工学と工学教育について語り合います。

毎月話して、気づけば150回

原島博(以下、原島)
大学にいた頃はたくさんの人と手を取り合ってやっていましたが、退職すると途端に一人きりになりました。ただやはり、元大学教員にできることはしゃべることです。そこで、2011年の6月から月に1回90分、「塾」と称していろいろなテーマで話す場をつくりました。そうしたらあっという間に150回を超えてしまった。その内容をコロナ禍の中で孤独にまとめたのがこの本です。モニターを2台並べて、一方に講義の際のパワーポイントを写しながら、声を出す代わりに文字を打ってつくっています。もう一度全講義し直したようなものです。声は発さずとも、誰かに話しかける感覚です。 「俯瞰する知」というと「総合知」のように捉えられがちなのですが、そうではありません。「総合知」なら、専門家を100人集めた方がよっぽどいい本ができます。「俯瞰知」はあくまで個人が主体で、人ごとに違う知です。
久保田晃弘(以下、久保田)
自分自身の目で見るということですよね。自分の目で見ているつもりでも、実は他者の視点を強くインプットされてしまうのが、今の情報環境だと思います。この本は十数年間かけて原島先生がみずから行った講義をまとめたものですが、声をだすように自分の指で入力したという行為こそが重要なのだと思います。その指で行う発話行為を通じて、自分がまだ知らないものごとに気づき、次の好奇心が生まれていくのですね。
原島
久保田さんは若い頃僕と同じ東京大学の工学部におられて、船舶工学科で流体力学を研究されていましたね。その後多摩美に移り芸術分野に進まれた。 久保田さんは非常に自由な考え方をお持ちで、その考え方にはおそらく、多分野の人との付き合いが影響を与えていると思います。さまざまな文化と接すると、外からの視点で自分をかえりみることができるようになる。俯瞰知というのはそういうことです。外を知ることは、自分を知ることにつながるのです。
「原島博講義録シリーズ-俯瞰する知」(工作舎)より
「原島博講義録シリーズ-俯瞰する知」(工作舎)より

工学の方法は理学だけじゃない

久保田
さきほど情報環境といいましたが、具体的にはSNSやAI、そしてインターネット社会が人々の考え方に強い影響を与えています。それらを生み出した巨大IT産業が大きな力を持つようになった今、改めて、それに少なからず加担してきた工学部が、自らの過去を批判し、今後何を掲げて教育研究を行っていくべきなのか。今こそ、そうした議論ができたらと思っています。
原島
工学というのは、外の人から見れば明らかに理系、理工学です。受験科目も完全にそうですね。しかしながら、自然学と人間学の二つがあったとして、どちらに属するかというと、工学は人間がいなければあり得ませんから、明らかに人間学です。一方で理学は自然学。 ではなぜ工学が理学と一緒に理工学とされたか。その発展途上期において、方法論として理学を使ったからです。数学、物理学、化学、まずはそれらを勉強しないと工学の勉強はできないからなのですが、本来、学問は目的で定義するものです。方法論というなら、心理学だってアートやデザインだって、同じように使っていい。 工学部の若い先生は自分の専門とは関係なく、「数学力学演習」だとか基礎科目を担当させられますが、同じように基礎科目として「アートデザイン演習」を担当したっていい。むしろそういった変化が必要だと私は思っています。

工学は文化創造学である

原島
私は90年代後半、「工学は文化創造学である」と表現をしました。そして、「何を文化とするかでその中身が変わる。19、20世紀は物質が人に幸福をもたらす物質的な文化だったが、その時代はもう続かないのではないか」とも言いました。産業革命以降、私たちは地球上に数億年かけて蓄えてきた資料やエネルギーを使い切り、未来に対して負の遺産を遺したわけです。原子力がまさにそうですね。今処理できない廃棄物を未来に無責任に持ち越している。 我々人間も広い意味では自然の生態系の中で生きているわけですが、生態系に馴染むものと馴染まないものがある。原子力や、プラスチックなんかもそうですが、生態系に馴染まないものをつくって自然に勝利したかのようにいうのはおかしいんじゃないかと。そこで、文化の見直しが必要だと話したのです。
久保田
高度成長時代の工学は、最初にきちんと仕様を定めて、それを正しく製造すること、つまりきちんとつくれて、壊れないものを設計して、それを均質かつ効率よくつくることを目指していました。科学史家・科学哲学者の村上陽一郎さんは90年代すでに、それを「工業的文化」と呼んで、過去の文化といっていました。
原島
そうですね。そういった工業生産が文化を担った時代を経て、生産と消費がはっきり分業になってしまった。ものが効率的に大量生産されることで、使う側は消費するだけになってしまったのです。
久保田 晃弘
久保田晃弘さん

大量生産・均質化文化のための「消費者」

久保田
「消費者」や「ユーザー」という言葉が、今なお文化を形成しています。でも、車や家を購入して「さあ、消費するぞ」と思う人は、ほとんどいませんよね。本当は、消費者やユーザーなんかどこにもいなくて、それを改造したり、修復しながら、自分の手で楽しみながら、ものづくりに親しんでいたはずです。
原島
消費者という言葉の歴史はほんの100年ほどですからね。それで経済が発展した部分もあると思いますが、例えば僕の幼い頃は、ほとんどの家庭にミシンがありました。でも今は既製服を買うのが当たり前。いわばアウトソーシングです。 消費とは、本来自分でやるべきことをお金でアウトソーシングすることなのです。着るものや食べるもの、そして隣近所や地域での助け合いもアウトソーシングです。そのためにちゃんと税金を払っているのだから、と。社会システムすらアウトソーシングを前提に構築されているのです。
久保田
90年代、コンピュータとインターネットの普及によって、工学設計やものづくりに変化が起こりはじめたと思います。ソフトウェアという、トライアンドエラーやプロトタイピングがしやすいメディアや環境ができたことで、僕自身、これまで学んできた設計と、これからやるべき設計は違うと感じるようになりました。さらに環境の有限性、つまり何でも使える環境下で理想的なものづくりを目指すのではなく、限られた条件の中で試行錯誤しながらものづくりを継続し続ける。そうした授業や演習をどうすればできるのか、ということを考え始めました。
原島 博
原島博さん

生活の中につくる喜びを取り戻す

久保田
生産と消費という文言を消去し、維持や保存を基盤におき、最適化も一旦は消去して、調整したり融通をきかせながら、均質なものや環境ではなく、多様なものごとを混在させる文化に根差したエンジニアリング、それこそが新たな文化創造につながると思っています。
原島
本書の1巻で先ほどのアウトソーシングに触れたのですが、そうすると未来像が暗くなってしまう。最後に何か明るいことを書きたいと加えたのが、ディジタル技術を活用したパーソナルファブリケーションとソーシャルファブリケーションです。生産と消費が分業化したところからもう一度、みずからつくり出す喜びが当たり前にある生活を取り戻すこと、それは人間復興の一つだと思うのです。
久保田
そうですね。僕がDIYやメイカームーブメントが好きなのも、自分の手でできる領域をいかに担保するかが大切だと思うからです。工学部や美術大学は、その点でたくさんの可能性があるはずです。さまざまな素材、道具や工作機械もありますし、実験装置を自作することもできる。新しいことを実践するためには、まず道具や装置からつくらなければいけないというのは、大事な教えだと思うのです。
原島
僕の専門である情報分野にも、80年代半ばに大きな変化がありましたが、それは「パーソナル化」です。パーソナルコンピュータの登場によってマルチメディアの時代が来て、世の中が面白くなってきた。久保田先生は大学院におられたころですね。 それまではコンピュータは大型コンピュータが中心で、機能をどんどん向上させていました。対してパーソナルコンピュータは安価で手に取りやすく、大型と比べると低レベルなものです。でもその登場によって明らかに世の中が変わりました。個人が自分で考えたことをコンピュータで実現できるようになったのです。

一人ひとりの生活者のための技術

原島
情報分野は比較的パーソナル化しやすかったのだと思いますが、3Dプリンタなど、生産分野のパーソナル化にはまだ技術的な限界があります。もう一段階、大きな転換点を経る必要があるだろうと思いますが、生産のパーソナル化が進めば世の中が大きく変わるはずです。 これからの工学は、そういった一種の生活革命みたいなことと密接に関係してくるのだろうと思っています。これまで産業のためにあった工学が、一人ひとりの生活者のための身近な技術になる。レベルが低下するわけでは決してなく、むしろこれが最先端なのです。 僕はDIYをDIO(Do It Ourselves)と言っているのですが、DIOのためには、いろんなアイデアを共有することも重要です。インターネットはそのための基本インフラになるわけです。アイデアさえ共有できれば、発展途上国だって自分の国で全部つくれるかもしれない。使うところで使う人が、そこにある素材でつくればいいのです。物の輸出入はなくなるのかもしれません。
久保田
グローバル化による消費主義がもたらした弊害を反省し、地産地消や地域化、ヴァナキュラーな文化の再発見が、その出発点になると思います。もちろん、そのためにはコンビニエンスストアやオンラインショッピングのような、生活のアウトソーシングシステムに対する批判的まなざしが、どうしても必要不可欠になってきます。大量消費に慣れ親しんだ体や心をつくりかえるのはとても難しく、コストもかかりますが、何とか変えていきたいですよね。今はまだ、家をリノベーションするより、壊してパッケージを再現する方が楽に思えるような社会が続いていますが、学生たちに接していると、ものは消費せずなるべく長く使う、つくるよりも直すことを大切にする、といった生活文化も浸透し始めているように感じます。
原島
自分で建てた家だったら簡単に壊せません。できるだけ生かして住み続けたいと思うはずです。元々買ってきたものだから、またお金で解決すればいいやとなるのでしょうね。
後編は12月16日公開予定です
プロフィール
東京大学名誉教授、公益財団法人画像情報教育振興協会 理事/情報理論、信号処理、ヒューマンコミュニケーション技術、顔学
原島 博
HARASHIMA Hiroshi
原島 博

ヒューマンコミュニケーション工学、「人間と人間の間のコミュニケーションを技術の立場からサポートする」ことを専門として、この立場から1995年には「日本顔学会」を設立、「顔学」の構築と体系化に尽力した。理系と文系さらには科学と文化・芸術を融合した新しい学問体系の構築に関心を持ち、文化庁メディア芸術祭審査委員長・アート部門審査委員、グッドデザイン賞(Gマーク)審査員をつとめた。
主な編著書に、『信号解析教科書』(コロナ社 2018)、『信号処理教科書』(コロナ社 2018)、『ビジュアル顔の大研究』(監修、丸善出版 2020)など。2024年より「俯瞰する知—原島博講義録」シリーズ(全10巻、工作舎)を刊行開始。

多摩美術大学美術学部情報デザイン学科メディア芸術コース教授/国際交流センター長
久保田 晃弘
KUBOTA Akihiro
久保田 晃弘

1960年生まれ。東京大学大学院工学系研究科船舶工学専攻博士課程修了、工学博士。数値流体力学、人工物工学に関する研究を経て、1998年より多摩美術大学にて教員を務める。芸術衛星1号機の「ARTSAT1:INVADER」でアルス・エレクトロニカ 2015 ハイブリッド・アート部門優秀賞をチーム受賞。「ARTSATプロジェクト」の成果で、第66回芸術選奨の文部科学大臣賞(メディア芸術部門)を受賞。近著に『遙かなる他者のためのデザインー久保田晃弘の思索と実装』(BNN, 2017)『メディア・アート原論』(フィルムアート社, 共編著, 2018)『ニュー・ダーク・エイジ』(NTT出版, 監訳, 2018)『アナログ・アルゴリズム』(BNN, 監訳, 2024)など。

構成:言問(こととい)
撮影:牧野智晃

トップへ戻る

このページのURLをコピーする

このサイトについて

CG-ARTS One

CGや映像、メディアアートなど新しい表現分野のクリエイター、エンジニア、研究者、アーティストなどを目指す方に向けたメディアサイトです。

© 2024 Computer Graphic Arts Society